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ひがのひがめ2020.09.29.

所沢生活村の代表を務める比嘉は、とっても食いしん坊。安心して食べられる、おいしいものに目がありません。お味噌や梅干しや漬物を作ったり、割れてしまった卵でオムレツを焼いたりしては、「これ、食べてみて」とにっこり笑顔ですすめてくれます。そんな比嘉ですが、いつも社会の在り方について思索し、その思いを毎月の会報に「巻頭言」として綴っています。
毎日のご飯は、政治につながっている。
そのことに気付かせてくれる比嘉の文章を、ブログでもご紹介します。

所沢生活村だより2020年9月29日号より

人にとって本当に必要な基本的な仕事が何であるかをコロナ禍は考えさせてくれる。コロナだけではなく、最近の豪雨・水害、東日本大震災・熊本地震などを通して、敗戦後75年間日本が目指してきた工業生産力・通商国家モデルなど「豊かさ」をもたらす産業化から、国民の命を守り安心・安全を目指すための産業化へと転換すべきだと痛感する。菅新首相が主張されるように「社会総体のデジタル化」がコロナ後の日本の活路だとは決して思わない。食糧自給率が37%でも緊急事態宣言下で「食糧パニック」が起きなかったのは、何よりもまず食糧をこの国で生産してくれる方々がいて、食糧流通の現場がはたらいていたからだ。医療現場でも生身の人間が必死に支えてくれたから医療崩壊が起きなかったのだ。デジタルはその補強・効率化としては有効だが、大切なのはリアルの現場なのは明らか。基本的な社会的資本をどんどん市場へ明け渡してきたのが安倍政治だ。農業に関しては、例えば18年の「種子法廃止」は大きな病害や自然災害が起これば日本全国で収量が大きく落ち込み回復できなくなる危険性を大きくした。どの自治体も種子供給のため公的機関に一定の予算を確保する法的根拠がなくなったのだから。何を農家が作り、国は輸入しそして食べるのかを消費者が主体的に決める食糧主権を、私たちは消費者として目指したい。自分の子どもに安全なものを食べさせたいという願いをそういう社会的運動につなげたい。それが所沢生活村の47年間のあゆみだったと私は思う。         (比嘉)